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【引退ブログリレー -BLUE PRIDE-#1 加藤一輝】


平素よりOB・OGの皆様並びに保護者・関係者の皆様、多大なるご声援・ご支援誠にありがとうございます。背番号1、Gの加藤一輝です。拙く長い文章ではありますが最後まで読んで頂けたら幸いです。

このブログは自分の4年間の歩みや考えたことをありのまま綴ることで後輩たちの成長の一助になればと思って書きます。

書きたくないような恥ずかしいことも書いていますが、そういう文章のほうが後で自分で見返した時に心に染みると思っています。


入部前

入部した決め手は、ラクロス部が何度も全国大会に出ているチームであることだった。

高校時代、サッカーで全国大会に出られなかった、それどころかAチームに上がる度に監督や同期にキレられ続け、完全に腐っていた自分には、大学から始めるスポーツでスタート地点はみんな一緒、しかも全国大会に出られるかもしれないこの部活が輝いて見えた。

一瞬、サークルも見ておこうと知輝と達仁とテニサーの開催する花見に参加したが、この大学生活はなんか違う、と3人で感じたのを覚えている。

あの時の勘は間違ってなかったな。


1年

1年の6月にはゴーリーを始めた。

入部式で16世代の由馬さんが南山のゴーリーは他のポジションとは違い伝統がある、9年連続で東海ユースを輩出していると言っていた所に惹かれた。

ここから大きな痣を何個も作りながら、地獄のような練習を始めることになるが、週に1,2回ある1年練で上級生のショットを止めることや、ナイスゴーリーと言ってくれるたくさんの仲間、先輩の声がモチベーションとなり、何とか毎日練習を耐え抜いた。

真夏によくやってた『ショット成功率60%になるまで終われないシュー練』は今ではいい思い出。これのおかげで今の俺は1、2時間くらいなら休みなしでショットを受け続けられる鉄人になった。

サマーリーグ優勝は自分の中ですごく大きな経験になった。強化練をやり切って同期と勝ち取った優勝はめちゃくちゃ嬉しかった。

育成に携わって頂いた先輩方には本当に感謝しています。

ユース交流戦や新人戦優勝を目指して練習するうちに上達していき、冬にはU19の日本代表に選出されることができた。

これは歴代南山ゴーリーの築き上げた伝統のおかげだった。ゴーリーグループには会ったこともない15世代や14世代の先輩の練習動画や、代表選考のレポートが残っている。これらを参考に、自分なりに研究して、考えて練習した結果だった。

この他にもつま恋でベストプレイヤー賞に選ばれたり、関東地区に圧倒されて来いと送り出されたプレミアムキャンプでベストゴーリー賞を獲ったりと、1年の時は順風満帆のラクロス生活だった。


2年

コロナ禍で代表活動や新人戦は中止になり、ショット練できないし、どうせ2年生だから自粛明けのリーグにも出られないしと思い、完全にモチベーションは無くなった。

動画をとるために最低限の筋トレを毎日こなし、たまにラクロスの動画を見て自粛終わったらこういうプレーしたいなと思う生活を何か月続けただろうか。

自粛明けに潤がATとして知らない間にめちゃくちゃ上手くなっていたことや、達仁がゴツくなっていたのを見て、なにも成長していない自分が情けなくなった。

そんな自分を亘さんと雄さんは特別大会の名大戦、名城戦に出してくれた。憧れの先輩たちと試合に出場し、東海優勝の難しさを知り、すごく貴重な経験をすることができた。

この試合を通してもっと上手くなりたいと思った。


3年

この1年はとにかく名大に勝ちたいという気持ちと、先輩たちを引退させたくないという気持ちが原動力だった。

シーズン初めのTCT名大戦では大した活躍もできず敗戦、新歓試合では止めれるはずのショットを決められて惜敗、開幕戦ではオフェンスメンバーの奮起のおかげで引き分け、点差はどんどん縮まっておりFINAL4では絶対に勝てると思っていた。

だが、結局FINAL4で任された3Qを無失点に抑えたものの、他のQで失点を重ね敗戦。

2Qも自分に任せてくださいってあの時言えていたら結果は変わったかな、とか考えてたら4Q途中からもう涙が溢れてきていたのを覚えている。

試合前は自分がやらかして先輩たちを引退させてしまったら、、とか考えてビビッて3Qだけ出ます!って言ったな。

この試合はラクロス人生で一番後悔した。今もしている。

ラストシーズン、最後に後悔だけはしないように過ごそうと思った。


4年

シーズン当初はゴーリーリーダーとして、今まで築かれてきた伝統を積み上げるとともに、まずは自分が一番上手くなる必要があると思い、自然とラクロスに費やす時間は増えた。

ラクロスアカウントを本格的に動かし始め、毎日何か他大学から吸収できるはないか常にアンテナを張った。

結果的にU21日本代表の練習にも何度か呼んでもらうこともできた。

就活との両立もそれなりにうまくやった。

ただ、チーム全体に何か貢献できていたか、という面においては全くできていなかった。

ただラクロスが上手いだけの先輩でしかなかった。

最上級生なんだから一番上手いのは当たり前、Gリーダーなんだからゴーリー組織を強くするのは当たり前、アフターのシュー練に誰よりも入るのは当たり前、その上で22南山において俺はどういう役割を果たすべきか、シーズン途中でここに自分自身すごく悩んだ。

突然後輩に、自分たちが先輩たちをどう思ってるかアンケートとってきたので送りますと言われ、アンケートを見ることから始まった幹部ミーティングでは組織に対して全然かかわっているように見えない、と指摘を受けた。

図星過ぎてそのミーティングでは何も発言できなかった。

主将として関東を倒すために言いづらいであろうことも勝つために率先して発言する潤や、練習の雰囲気が落ちているときに早朝のグラウンドにでっっかい声で盛り上げる亜慧がチーム全体に好影響を与えていて羨ましく思った。

精一杯自分にできる役割は何かを考えた結果、少しでも周囲のモチベーションを上げられる人であろうと思った。

自分が下級生の時に上級生に褒めてもらうことがモチベーションになっていたように、自分が些細な良いプレーでも褒めることで仲間のモチベーションを上げられる存在になろうと残りシーズンを過ごした。

また、仲間のラクロスについて考える時間を少しでも増やしたい、と毎日夜に自主練投稿をした。

ちらほら後輩が自分と似たように夜に練習している投稿を見ることがあるので効果はあったと思っている。

自分が見てきたどの先輩、後輩ゴーリーよりもショット練をして、組織に対してもシーズン当初より関わりを強め、練習試合やリーグ戦を通してチームとして確かな自信をつけて挑んだFINAL。

結果は3-13。惨敗だった。

ただ、あの時こうしていたら勝てたかもしれないという昨年のような悔し涙はなく、むしろ自分史上最高のパフォーマンスを発揮でき、今シーズンをやり切ったという清々しい気持ちで試合を終えた。

勿論、打倒関東という目標を達成できなかったこと、全国大会に出たくてラクロス部に入ったのに出られなかったこと、名大を一度も倒せないまま引退を迎えてしまったことに対する悔しさはある。

だが、この1年間やってきたことに後悔はない。

そしてこの4年間、ラクロスを続けてきて本当によかった。

上記の経験の他に、指導者としてフレキャンに参加したことや、東海ユースを選抜する側の経験をしたこと、オフの日に一人で社会人の練習に混ぜてもらったことなど、ラクロス部での様々な経験を通して自分自身を一層成長させることができた。これらは全て今後の自分の人生において大きな財産になることは間違いない。


最後に

同期へ 

人数は半分以下になっちゃったけど、みんなとここまで真剣にラクロスに向き合って、努力してこれて本当に良かった。これからも宜しくね。

後輩へ

この一年間、本当に支えられてばかりだった。特にDFメンバーには感謝してもしきれない。

練習後に夜までスカウティングしたり、夜な夜なZOOMでミーティングしたり、特にリーグシーズンは死力を尽くしていたけど、打倒関東どころか、東海優勝すらさせてあげられなくて申し訳ない。

試合中に泣いている後輩を見て去年の自分を思い出したな。

特に新4年生、来年は後悔の残らないようにラストシーズンを過ごしてね。

一つアドバイスをするとすれば、ポジションリーダーや主務のような決まったポジションに囚われることなく、最終目標を達成するうえで自分はどういう役割を果たすべきかを常に考えながらシーズンを進めていってほしいな。

新4年生だけじゃなくて、全員がそう考えながらプレーできるチームになったら更に強くなれる。そうなってほしいし、君たちならできる。

先に引退したOBの戯言です。

 

ゴーリー達へ

まだまだ教えたいことはたくさんある。これから1年、Gコーチとしてどれだけ関われるか分からないけど、南山ゴーリーの伝統を継承するためにも全力で教えます。たくさん聞いてね。

お気に入りの写真。来年もこれ観れるといいな。


家族へ

直接感謝の気持ちを伝えるのは恥ずかしいのでこのブログを見ていてくれたら嬉しいです。朝毎日駅まで送ってもらったり、遠征費を払ってもらったりとたくさん迷惑をかけました。高校の時は自分の出ていない試合が最後の試合になってしまい、不甲斐ない思いをしたけど、大学最後の試合をスタンドで見てもらえて嬉しかった。来てくれて、部活を応援してくれて本当にありがとう。

#1 加藤一輝

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