【4年生引退ブログ-BLUEPRIDE-】#34家木笙太
平素より南山大学男子ラクロスを応援していただき、誠にありがとうございます。
4年FOの家木と申します。
拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
あっという間に4年間の学生生活も残り半年となり、年々時間が過ぎる速さにおびえながらこのブログを書いている。
振り返ってみれば、自分が思い描いていた学生生活とはかけ離れた4年間であったと思う。
入学当初はサークルに入って、男女問わず仲良いグループに所属し、恋愛などうつつを抜かしているんだろうなという漠然とした幻想のようなものがあった。
ところが現在の私を見てみると、いびつな筋肉に覆われた体で、朝日が昇る前に学校に行き、太陽が正午を示すころに学校から姿を消す。
文面だけ見ると妖怪の類である。
さて、そんな4年間だったが思い返してみるとそんなに悪くはなかった。
1年の時に、東海代表、日本代表、学生日本一という甘言にまんまと乗せられた純粋無垢な少年はその言葉の重みを理解できていなかった。
先輩に「すぐ慣れるよ」と言われた五時起き生活だが、4年間たっても一向に辛い。新歓の時に自分がその言葉を口にしたとき、「大人になるってこういうことなのかな」と感じたのを覚えている。
話がそれた。
一年の時はそれなりに順調な人生を歩んでいた。
夏くらいに割と早めにBチームに選ばれ、山中湖合宿という一年生のエリート中のエリートにのみ配られるチケットを勝ち取った。その後爆速で降格したのはご愛敬だが、選ばれた理由を聞いてみると「タイトレを頑張っていたから」という脳筋枠での採用だった。少し泣く。
秋ごろからFOを始めた。先輩たちには全く勝てず、割とへこんでいたし、練習中は全くしゃべらなかった。今思えば本当に害悪な後輩だった。
ただ、当時から負けず嫌いではあったため、毎練習の勝率を自分で書きだしたり、手の皮が剥けて出た血を、クロスに吸わせながらフェイスしたことを覚えている。
そのおかげか1年の冬にはつま恋合宿にFO兼AT としてAチームに呼ばれ、2得点を挙げることができた。数少ない成功体験の一つだ。
余談だが、自分のファミリーの同期が、私以外一人残らず部活をやめたのは、決して私に人格的な問題があるわけではない。覚えておいてほしい。
二年時も前半は割と順調だったと思う。
東海地区代表への選出、ハワイ遠征。
FOトーナメントでの優勝。
我が人生の最盛期である東海地区大会決勝戦での二得点。
そしてベストFOerへの選出。2年生で選ばれたのは史上初だと思う。そういうことにしておく。
このあたりから専任のFOとなり、全国で戦える選手となることを意識し始めた。
しかし、人生はうまくいかないもので、DSの選考会を直前にして前十字靭帯を断裂した。
自分の中でも気持ちの整理がつかないまま、足を引きずりながら新幹線に乗車し、選考会に参加したことを今でも覚えている。
結果は当然落選。
落ちた理由は全部ケガのせいです。異論は認めません。
3年時はほぼ手術の思い出とほんの一握りの後輩育成の思い出がある。
同時期に前十字靭帯の再建手術をしたすえひろひろしくん(18世代)と、先に手術を経験していたあさとくん(19世代)と前十字靭帯ファミリーを結成し、お互いの傷をペロペロしていた。
彼らの支えで割と腐らずにいれたと思う。陳謝。
ただ、当時の自分はケガ直前に生まれた全国区プレイヤーへの目標とのギャップから、割と荒んでいた時期だと思う。
また、初めて直属の後輩を育てることとなった。
私自身、言語化は得意ではなく、感覚と練習量によって実力をつけてきたタイプであるため、教えるのがうまくはなかった。
ただ、そんな中でも世代間で頭角を現し、U19選考会にも呼ばれたのはひとえに彼の実力によるものだと思われる。
全部私のおかげってことにしてくれないだろうか。
勘のいい読者諸君は「3年になって初めての直属の後輩?」と疑問を抱いただろうが、今までの後輩はなぜか部活をやめている。再三述べさせていただくが、私に人格的な問題があるわけではない。異論は認めない。
そして、現在。
最後となる大会が始まり、引退までの時間が刻一刻と迫っている。
一度でも負けたらそこで終わり。
毎試合、FOをするときは今でも緊張する。負けたら、ブレイクを作られたら、点を取られたら。そのことを考えると足がすくむし、体もこわばる。
今までは準備の量でカバーができた。しかし、今はお世辞にも万端だとはいいがたい。
それでもやる。やらなければならない。
最後にはなるが、今までお世話になった方々に感謝の意を伝えて、締めようと思う。
先輩方、2年生から試合に使っていただきありがとうございました。直属のFOの方はもちろん、他ポジションの先輩方にも教えて頂いたり、褒めて頂くことがモチベーションとなっていました。誰とは言いませんが、「東海を代表するFOになれよ」とぼそっと言われたことを今でも覚えています。多分言った本人は覚えていないと思いますが。
後輩たち、練習でも試合でも頼りにしている。君たちが実力をつけるたびに、自分のことのようにうれしいし、やや誇らしくもなる。ポジションの特性上、直接技術を教えることは少なかったと思うが、仲良くしてくれてありがとう。私の話で笑ってくれるので好きです。笑わない後輩は嫌いです。
同期、いつも奇行を繰り返している私を受け入れてくれてありがとう。みんなのおかげで4年間の早起き生活に耐えられたと思う。
一人一人書こうかと思ったけど、ブログ全体の文量が卒論を超えそうなのでプレイヤーとスタッフに二分して書く。書こうと思えば書ける。信じてほしい。
プレイヤー
おそらく、大学生活で一番多くの時間を共に過ごしたと思う。
みんなと過ごす時間はとても楽しかった。
練習後にグラウンドに集まるのも、バー当てして小銭を稼ぐことも、あと少ししかできないと思うと名残惜しい。
君たちのおかげで私の大学生活は非常に楽しいものだった。ありがとう。
スタッフ
テーピング、FOの笛、準備など、私が知らないだけで他にも数多くの仕事をしてくれていたのだと思う。
プレイヤーよりも早くに学校に来て、その後も反省をしていた。
私たちがラクロスをできていたのはスタッフのおかげだ。
ただ、直近の川名練習にだれも来てくれなかったのは忘れない。涙で枕を濡らしました。
長々と書いたが、これぐらいで締めようと思う。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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