【引退ブログ-BLUE PRIDE- #7 二村知輝】

平素よりOB・OGの皆様並びに保護者・関係者の皆様、多大なるご支援頂き誠にありがとうございます。背番号7番の二村知輝です。

僕はこの引退ブログを、2つの思いから書こうと思います。

 1つ目は、自分が何年後かにこのブログを見返した時、この4年間をどんな思いで過ごしていたのかを思い出せるように書くこと。

 2つ目は、強い南山を創るというチーム理念の一つとして未来に対して遺産を残すということを掲げました。このブログを通じて、過去には二村知輝とかいうやつがこんな思いでこの部活に所属していたんだなということを少しでも見てもらい、何か感じ取ってもらえるきっかけになるように書くこと。

稚拙な文章をダラダラと垂れ流してしまうことをとても恥ずかしく思いますが、とにかく自分が今思っていることを伝えたいという気持ちだけで、書かせてもらったところ5360文字と、とんでもない量になってしまい、現在取り組んでいる卒論よりも文字数を書いてしまいました。何してんだろう。

少し長すぎるため、本文を

第1章 4年間のラクロスの振り返り

第2章 伝えたいこと

の2つに分けました。

第1章

エピソード0 〜ラクロスを始める前〜

僕は、ラクロスを始める前、5歳から高校3年生までずっとサッカーをしていた。熱田高校という愛知のまあまあ強豪校でサッカーをし、愛知県ベスト8という成績を残して、サッカーを引退することになった。

ぶすですね

サッカー自体は好きだったが、サッカーの練習が好きではなく、燃え尽き症候群のようになり、サッカーを本気でやることは諦めた。サッカー部を諦めた僕は、サッカーやフットサルのサークルに入り、男女4対4とかで旅行とか行っちゃうような大学生活を送るものだと入学前は思っていたが、そんな楽しい生活は夢のまた夢で、前世で最高の徳を積んだ大学生のみに訪れるご褒美だったことを悟った。

ラクロスとの出会いは、入学式の前のオリエンテーションで、元から知り合いだった一輝と一輝の友達だった達仁と仲良くなり、ずっと一緒に過ごしていて一輝がラクロスというスポーツに興味があるからパスキャッチ体験に行きたいと話し、ちょうど勧誘に来ていた18世代のりゅうへいさんと一緒にグラウンドに体験に行ったことが出会いだった。

体験しに行った日には、ラクロス部に入ることを7割くらい決めてしまったくらい先輩方の熱い勧誘を受けたことを覚えている。特に陸斗さんでした。ありがとうございます。

特にラクロス部を気になったのは、「全国大会に行ける」という謳い文句だった。高校までのサッカー経験で全国など夢のまた夢だった僕は、全国大会というその甘美な響きに導かれ、ラクロス部に入部することになった。

1年生

1年生の時には、今までのスポーツ経験からある程度上達が早く、まあまあ上手いというところまでは行けたが、他の同期たちより抜きん出ることはできなかった。1年生の終わり頃に2年生、3年生とともに練習をするようになり上級生という大きな壁にぶつかった。1on1してもすぐ落とされ、ショーディーしてもすぐ抜かれる。先輩たちの偉大さ、Aチームとの距離の遠さを感じたことを覚えている。

奇跡的に全員残っている人の写真があった。

2年生

2年生になってすぐにコロナ禍になり自粛期間が始まる。そんな中、こうたさん、りょうさんという偉大な先輩と縦割り班で一緒になった。先輩たちが自粛中でもしっかりと練習の動画をLINEに上げ、また僕があげた動画に対してもアドバイスを毎回送ってくれたことで、この期間本当に基礎から自分を見つめ直すきっかけになった。

練習再開後の特別大会では、同じポジションだったりょうさん、末廣さんが怪我だったため、ベンチメンバーに入れてもらい、17世代の引退試合だった名城戦で1得点することができた。特に育成としてお世話になったりょうさんは、自分が点を入れたことをとても喜んでくれ、自分もすごく嬉しい気持ちになったことを覚えている。この試合で結果を出すと出さないでは、その後のラクロス人生で大きな違いだったと思う。試合に出させてもらい貴重な経験をすることができました。20OFのみなさんありがとうございました。

3年生

3年生となりMFとして試合に出る時間も多くなってきたが、決定的な仕事はできず、軽率なミスで流れを悪くする、怪我も多く、練習に参加できる時間も減っていくなど本当に自分の中ではよくない期間がこの3年生の時にあった。

そんな中迎えた10月17日final4で名大に負けたこの日。悔しさから今でも鮮明に覚えている。

リーグ戦の開幕戦があった周辺で、

かずおさん、末廣さん、隆平さん、大真とはっきりしたキャラクターがあるMFに対し、自分の強みはなんなんだろうということを考えさせられるようになった。この問いは4年生になっても継続して考えていくことになる。

4年生

18世代が引退して、あっという間に最上級生となり、後輩として自分だけが悩む番は終わってしまい、後輩たちの育成、アドバイスなど周りを見て行動することを意識した。

特に自分はプレーで引っ張っていくタイプではないため、言葉や行動で示していかないと行けなかったのに、最上級生としての自覚を失い、なあなあで過ごしていた時期があった。そんな時に潤から四年生が行動しないとダメだと喝をいただき、心を入れ替えるきっかけとなった。しかし精神にムラのある僕は、明るい日と普通の日、ちょっと暗い日みたいに態度を変えてしまうことがあったと思う。同期や後輩たちには本当に迷惑をかけました。すみません。

リーグ戦を4勝1敗の2位で終え、final4進出が決定した。昨年のFINAL4での敗退が記憶に新しく、前日は本当に緊張した。

しかしFINAL4の時のアップ中に突然右足付け根に違和感が現れ、走ることもままならないほどの痛みで、試合を欠場することになった。負けたら引退の試合でプレーすることができず、とても悔しい思いをした。勝った時は安心感で、本当に泣きそうになった。いや泣きそうにはなっていない。目がなんかびちゃびちゃになっただけである。

FINALは3-13という結果だった。

まさにボロ負けである。悔しかった。ただ苦しい中諦めないで戦ってくれたDF陣に本当に感謝したい。3-10くらいになり応援席が静寂に包まれ、チームとして苦しい雰囲気になってしまった時、僕は途中で、観客席に向かって言った。まだみんな諦めてないので応援お願いしますと。沢山の観客が拍手して応援を続けてくれた。これもDF陣が諦めないで頑張ったことを観客の方々が見ていたからだと思う。DF陣は全員3年生、たくさん点を入れられても、諦めることなくみんなで声を出して戦ってくれた。そんな姿を見て来年も大丈夫だなと思った。この1年間一緒に戦ってくれてありがとう。けいしが試合の途中でめちゃめちゃ泣いてたけど、あれは「まだ諦めてない、やってやるぞ」の涙だよね??

その後雷で試合が一時中止になり、潤が泣きながらみんなが集まっているところに来て試合が中止になったことを報告してくれた。みんなが泣き出す中自分はみんなを励ます方に徹底した。

3年生が泣きすぎていたからだ。

負けて終わりの4年生が泣くべきだと思うのに、まだ一年後リベンジのチャンスがある3年生が泣くのはずるいだろ〜、と思った。まあ冗談だが、その時こんなにもみんなが勝ちを願って練習を続けてきて、負けたあとこんなに涙を流す、こんな尊い経験もうないかもしれないと思った。

だからこそ3年生のみんなには、4年生に申し訳ない思いをしたとかは全く思ってほしくなく、すぐ切り替えて笑顔でfinalの日を終わらせてほしかった。

 

こんな時に4年生にできることは、自分は切り替えて、3年生を励まして前を向かせることだし、観客席への挨拶を人一倍大きい声ですることだし、備品を沢山運び、みんなが着替え終わったロッカーを掃除することだと思った。

悔しかったけど、かっこいい先輩でいたかった。負けてもすぐ切り替えて笑ってて後輩を励ます先輩ってなんかかっこよくないですか??まあこれを言ってしまったらかっこつけた意味はなくなってしまったんですが…

だから着替え終わって外で集まった時に、泣いていたみんなの笑顔が見ることができたのは嬉しかった。そんなみんなで笑顔で写真を撮れて良かった。

まさか負けて胴上げされるとは思ってもなかったが、いい経験になった。どうでもいいが、自分は胴上げ中自撮りで動画を撮った。胴上げされている人が自撮りしている映像って意外と貴重なのではないかと思う。ただ腕が短すぎて、胴上げされ、ブレブレになった自分の顔がアップで写っているだけだった。いらねぇ〜。

解散し、うちに帰った後一人でサウナに行き、ロウリュを受けながらたくさんの汗とともに悔し涙を流し切った。3年半よくやったと思う。学生ラクロス、楽しかった。

振り返りは終わりです。

第二章 伝えたいこと

「成功から学ぶことは大事だが、失敗から学ぶことはもっと大事である。」

僕から後輩のみんなに伝えたいことはこの一文に全て詰まっている。

以降理由について説明していくが、長くなるのでこの一文さえ心の片隅においてもらえればOBとして嬉しいです。

僕は今、卒業論文のために、「失敗学」という学問について研究している。失敗学とは「失敗を正しく学び、生かす」事である。

簡単に言うと失敗の理由を分析して、生かすことで成功に繋げようということである。

みなさんも聞いたことあると思うが昔から伝わる言葉で、「失敗は成功のもと」や「失敗は成功の母」という言葉がある。失敗しても、それを反省して欠点をあらためていけば、成功につながっていくという意味の言葉、教訓である。

 

みんなも一年生からラクロスを続けてきて、成功続きで今まで来ている人なんて誰一人いないと思う。

例えば、

大事な場面でパスキャッチができなかった。

GBが取れなかった。

シュートを決められなかった。

セーブができなかった。

人はこのような失敗を経て、さらに考えを深めていくことで経験として蓄積され、技術として身に付いていく。そんなものだと、なんとなく理解はしているだろう。

ただ、インスタに反省動画として載っけるものは自分が成功した事を言語化したものばかり。

練習中の動画をスタッフさんが残してくれているにもかかわらず画面録画するのは成功したプレーばかり。

練習中には、たくさんの成功の母となるべき失敗をしているはずなのに、それについては動画を残すこともせず、反省しない。

そんな反省の仕方をしてしまってはいないだろうか。

(これは個人で反省する場合で、組織としてビデオミーティングする際はみんなで話し合って失敗したところをどのように改善すべきかを話し合えていたので素晴らしかったと思う。)

現役時代の僕は、本当に上記の通りの反省の仕方をして、成功したところばかりをピックアップしてその再現性を上げることばかりをしていた。ただこれが悪いというわけではなく、大真や潤のように明らかなストロングポイントがある選手には向いているとと思う。

ただ僕は、みんながわかっている通り、平均的にどんなプレーもする、オールマイティな試合の出方をするような選手だったので、失敗(ウィークポイント)をそのままにしてでも、自分のストロングポイントを伸ばすことは、自分のプレースタイルに合っていなかった。

なぜわかっていても自分に合っていない反省の仕方をしてしまっていたかというと、僕自身自分の上手く行かなかったシーン、反省すべきシーンに対して向き合う強さを持てていなかったことにある。

失敗には、やはり負のイメージがあり、したくないもの、起こしてはいけないものという負のイメージがつきまとう。人は見たくないものは、見えなくなるものという風に失敗を隠す傾向にある。

 

僕は、ある程度平均的にできてしまうキャラみたいになってしまったが故に、失敗した時に、みんなが落胆した感じをすごく感じ取ってしまうこと。そんな自分を恥ずかしく思ってしまうために、失敗を隠してしまっていた。

失敗を隠す事で起こることは、逃げて練習をサボったことによる、より大きな失敗というマイナスな結果である。この負の連鎖を無くすためには、まず失敗に対する見方そのものを変えていくことが大切だと思う。

私は現役時代、この見方を完全に変えることは出来ず、とても後悔している。

4年生になってからは、ある程度失敗することに恥ずかしさなどはなくやれるようになりましたが、やはり上級生がいると失敗できない気持ちになってしまい、隠したくなっていた下級生は僕だけではないと思う。

4年生になって思ったことは、自身が下級生の時に思っていた、先輩は失敗してしまった後輩に対して落胆しているだろうな……という気持ち、そんな気持ちは一切芽生えないものなんだなということである。失敗しても、反省して次に繋げてくれる、そんな後輩がたくさんいたら良いなと感じることがほとんどだった。

下級生の時にガンガン失敗してそれを上級生がカバーする。そうやるから失敗を恐れずにから挑戦してほしいという事を思ってはいたけど、なんか小っ恥ずかしくて、後輩たちに伝えることを怠ってしまったが故に、後輩たちが伸び伸びとラクロスをやる機会を奪ってしまっていたのではないかと今ではそう反省している。

少し脱線してしまったが、みんなは失敗を恐れずどんどんチャレンジしてほしい。失敗してしまってもまたその失敗に向き合って、分析し、2度と同じミスをしないようにすればいい。そんな失敗への強さを僕を反面教師にして是非持ってほしいと思う。

最後になりますが、感謝を述べさせてください。

5歳から22歳までサッカー、ラクロスと続けてこれたのは両親の応援があったからだと思っています。

いろんなサポートありがとうございました。

また、南山大学男子ラクロス部に関わってくださっている、保護者やOBOGの皆様。

皆様方の多大なる支援のおかげで、私たちは活動を続けて来ることができています。finalなどの有観客試合、配信ライブやsnsを通じたたくさんの声援にとても勇気づけられました。

今後とも変わらぬご支援、ご声援のほどよろしくお願いいたします。

4年間共に走り抜いた大切な同期。なんか思い出みたいな画質ですね。

これからもよろしくお願いします。

#7 二村知輝

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